2010年8月31日火曜日

書評:これからの「正義」の話をしよう

タイトル:これからの「正義」の話をしよう いまを行き延びるための哲学
出版年:2010年
著者:マイケル・サンデル
訳者:鬼澤忍
発行所:(株)早川書房

内容まとめ
この本の原題は「Justice: What's the Right Thing to Do?」であり、
正しい行いとは何か?を哲学者の理論や具体的論争を紹介しながら読者に問いかけてくる。

著者の主張を簡略化すると、
1.正義をめぐる議論には以下の3つの理念が存在する。
①幸福の最大化、②自由の尊重、③美徳の促進
2.①、②のみで正義を判断しようとするのは誤りで、③の議論を避けてはならない。

最も主張がまとめられている部分がp335~336である。
   私にはこれは間違っていると思える。公正な社会は、ただ効用を最大化したり選択の自由を保証したりするだけでは、達成できない。公正な社会を達成するためには、善良な生活の意味をわれわれがともに考え、避けられない不一致を受け入れられる公共の文化をつくりださなくてはいけない。
   所得、権力、機会などの分配の仕方を、それ一つですべて正当化できるような原理あるいは手続を、つい探したくなるものだ。そのような原理を発見できれば、善良な生活をめぐる議論で必ず生じる混乱や争いを避けられるだろう。
   だが、そうした議論を避けるのは不可能だ。正義にはどうしても判断がかかわってくる。(中略)正義の問題には、名誉や美徳、誇りや承認について対立するさまざまな概念と密接に関係している。正義は、ものごとを分配する正しい方法にかかわるだけではない。ものごとを評価する正しい方法にもかかわるのだ。

感想
   美徳をめぐる議論がものごとを評価する正しい方法にかかわってくる、というのは重要な視点であると感じる。
   多くの人は判断の際に中立的な基準を望むであろうが、実際の自分の判断はしばしば感情的なものになりがちだ。だが、それがよくないからといって感情を全く排して客観的・合理的に判断することが本当に望ましいことなのかは疑問である。
   美徳を判断の基準にするというのは、感情的な議論を避けつつも排除できない人の感情を社会に反映させるということなのかもしれない。

目次
第1章:正しいことをする
第2章:最大幸福原理——功利主義
第3章:私は私のものか?——リバタリアニズム(新自由主義)
第4章:雇われ助っ人——市場と倫理
第5章:重要なのは動機——イマヌエル・カント
第6章:平等をめぐる議論——ジョン・ロールズ
第7章:アファーマティブ・アクションをめぐる論争
第8章:誰が何に値するか?——アリストテレス
第9章:たがいに負うべきものは何か?——忠誠のジレンマ
第10章:正義と共通善

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